国鉄が好きな撮り鉄オヤジの活動記録

今年の初が、最後になりそう・・・

今日は、天候に恵まれましたので、久しぶりに撮り鉄に出掛けました。

腰を据えての撮影は、昨年の5月以来とほんまに久しぶりです。

今日の現場は、毎度お馴染み近場の阪急正雀工場前。
詳しくは、HP内の撮り鉄Mapをご覧ください。

今日が最後となりそうなのは、こちら⇓
そう、関西圏最後のブルトレです。

子供のころは不幸にも、ちょうど国鉄の業務合理化とかいう政策の真っ最中でして、大阪ではヘッドマークとは全くの無縁という悲しい状況下でした。
民営化後に再掲出されましたが時すでに遅しで、私は鉄離れをしておりました。

かっこよかったJNRマークに比べ、手抜きとしか思えない(個人的主観です)とんでもなくダサいJRマークが嫌いでなりませんでした。(今もですが・・・^^;)
そのころの最も栄えたといえるであろうブルトレ全盛期を鉄として過したわけですが、缶なしの関西人にとっては関東の人が羨ましかったのを覚えております。

そこで思い立ったのが、高一の時に実行した”0泊撮り鉄東京遠征”でした。

缶なしなので、ブルトレは後ろを撮るもの・・・
というのが当たり前だったその頃の、今では有り得ないペイントではなくステンレスの帯をまとった美しい姿が、今でも目に焼き付いています。白帯の24形もありましたけど、25形の方が好きでした。
こちらは、「日本海1号」。
1982年5月5日新大阪駅でのひとコマです。

思えば当時は、2往復。
青函トンネル開通後は、函館まで行ってましたね。

’92年には鉄離れはしていたものの、「日本海3号」で青森まで行き北海道旅行もしました。

24系25形は、「明星」ですが最も数多く乗車した寝台車でした。
B寝台でしたが、ピッカピカの車両で優雅な旅となりました。

新幹線・飛行機では味気ないので、スケジュールの許す限り寝台列車を選択していたように記憶しております。

車内で駅弁食べたり、紙コップで冷水を飲んだり、通路の椅子に座って真っ暗な外を眺めていたり、ベッドでブラインドの隙間から通過駅や停車駅の看板を確認したり、すれ違う列車の名前を確認したり、車内アナウンスを録音していたり、停車時間の長い駅では入場券の購入や、駅スタンプを押しに途中下車したりと、やる事がいっぱいあって寝てる間がありませんでした。
というか、高揚して寝るどころではなかったんでしょうね。

大人になった今では、こんなこと出来る状況でもする気力はないでしょうけども^^;
鉄道で移動を楽しむ旅は、皆無に等しくなってきました。

かろうじて臨時で残るのは、ほんとに救いですね。
いつまでもつのかわかりませんが、便利さと共に情緒も残していってほしいもんです。

では、今日はこのへんで・・・

HPリンク「日本海」特集ページ

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中